とても残念気持ちである
今回のアメリカ大統領選は僕の中ではこれまでの選挙とはだいぶ思い抱く感情が異なる。というのもたまさか大統領選の予備選が終わる頃にポケットワイファイを解約して光を導入したのをきっかけに光テレビを入れて毎朝BBCを見るようになったのである。その内容の3割くらいは毎日大統領選である。加えてその頃足首の痛みがひどくジョギングをやめて自転車で皇居を一周するようになり自転車をこぎながらアイフォンでBBCを聞くようになった。するとここでもテレビとは異なる内容で大統領選の様々なレポートが流れるのである。大統領選のことが頭から離れる日はなくなってしまった。それゆえ以前の選挙の時よりは二人の候補の人となりをより多く知るようになってしまったのである。そしてそのレポートを聞き、ディベートを見ているうちにトランプが人間的に国のトップに立つ人間としては不適格であると思えてきたのである。これは政治公約以前の問題である。セクハラ事件はもとより、ヒラリーをNastyと形容する女性蔑視。自国の民を潤わせるためとはいえしてはならない人種差別的発言。政治とは様々な利害関係の調整の上に成り立つのだと僕は思っている。一人勝ちすることが政治だとは決して思えない。一人勝ちすることが勝ちであることを掲げて国民を扇動するのはあってはならないことだと思う。知性も理性も何もなくなってしまう。
30年前にアメリカに留学した時にアメリカ文化の授業でアメリカで最も尊敬されるのは学者でも医者でも弁護士でもなく金を稼ぐ実業家であると聞いた時に浅ましいがプラグマティズムの一面なのだと諦めていた。その後そのプラグマティズムは希薄化したかに見えたが、30年経ってまた(まだ)その価値観がはびこるのを見るのは本当に悲しい。
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