東京の2重性
バルセロナのエンリックの論文A4,17ページの社会学の雑誌に投稿した論文を読んだ。彼が理科大のワークショップに来る前に僕と話したこと、理科大に来て学生とおこなった祭りワークショプのことそして建築家の職能の拡張のことが書かれていた。タイトルは「東京:新しい公共性へ向けて」であり要約すれば次のようなことである。戦後東京の環境は爆破されても残る江戸のスモールスケールの上にメガスケールが共存する形で整備された。この矛盾とでもいうべき2重性が東京の特徴であったが、その後メガスケールがミクロスケールを破壊しつつ開発されてきた、しかし近頃はミクロスケールへの理解が高まっている。そしてこの2重の都市空間における公共性を重視することが新しい東京をさらに発展させると指摘する。その理由は世界都市の多くがそうした良質の公共空間を持っておりそれから遅れてはならない、また都市は単なる移動のインフラストラクチャーで構成されてはならず人々が共生する意味を分かち合うところだからだと主張する。
彼はその上で都市のミクロスケールを強調する。理科大でも特にそのことを学生に主張していた。僕も当時はその意見にほぼ100%賛成していたが、最近四谷から赤坂に引っ越してみて少し考えが変わった。四谷は比較的マイクロスケールがドミナントな町であるが、赤坂は超高層が多く建つ町であり、マイクロスケールも多く残り、まさにそれらの共存の町なのである。そしてどちらが心地よいかというと私には双方のスケールの共存の方が多様性があって楽しい。遠くへの眺望があるかと思えば人もすれ違えないような路地があるこの落差が心地よい。あるところで経済原理を止めて、この平衡関係を保つことが都市作りではないかと思える。つまりエンリックが指摘する東京の2重性こそが世界都市東京の東京性だと思う。
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