職業としての建築家
建築家の設計論とはどういう意味を持ち得るのだろうか?建築家に限らないのだが創作者の制作論とは何のために書かれどのような意味をもつのだろうか?おそらく制作論は大きく二つに大別される。一つ目は創作者の個別性が強くてマニフェスト的な体をなすものである。その場合その制作者の作品がその人独特であればあるほど、その作者の個別性が文章に色濃く出る可能性が高い。例えば篠原一男の『住宅論』などはそうした論の典型である。一方広く哲学的で汎用性があり広く多くの人の規範となるような制作論もある。それは教科書として見習いうるものとして価値がありその意味で学んでみたいと思うものになる。例えば槇文彦の『コレクティブフォーム』や『見え隠れする都市』などはそういうものである。一見都市の観察にも見えるがこれが槇の作品のベースになっていることは明らかでその意味でこれは制作論と言えるだろう。
ではこれらの中間、あるいはその両方を持つようなものはあるのだろうか?個別性と規範性を共存させる制作論はあるのだろうか?今のところ僕が読んだそういうものの中で最も参考になった制作論は村上春樹の『職業としての小説家』である。そこで僕もそういう方向から制作論を考えてみてもいいのではないかと今考えている。『職業としての建築家』である。
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