imperialism の匂い
「日本島の固有種でいることを避けて自らを拡張する場所に身を置くことが重要である」ということをFBに書いたところ、とある方からimeperialism (帝国主義)の匂いがするというようなことを指摘され驚いた。固有種であることを避けて自らを開くことは多文化理解へすすむことだと記すとその理解の後にterritory expansion(領土拡大)へとつながる可能性を指摘された。そう言われるとそうかもしれない。僕もアルゼンチンとの交流ののちにアルゼンチンに何がしかを設計して(そんなことはないだろうけれど)坂牛の建築デザインが文化的侵略を招く可能性は0ではない。実際先日のアルゼンチンのメディアインタビューの最初に「アルゼンチンに移植可能な日本の(あなたの)建築デザインはあるか」と聞かれた。その時は「建築は半分キノコのようなものなので、アルゼンチンの土壌を知らないうちは答えられない」と答えた。古来政治的、経済的な侵略ののちにその場所に建築が移植されることは多々あったがその逆はなかった。つまり文化侵略がさきにあり政治経済がその後をついてくることはなかった。しかし例えば20世紀初頭のインターナショナルスタイルは政治経済的侵略なしに、文化文化的帝国主義だけが起こった事例としては大きなものである。ではしかしそういうことが21世紀に起こる可能性があるのだろうか?面白い問いである。これをきっかけに考えてみたい。21世紀の今ならスターアーキテクツの建築のように商業主義に乗りながら世界を席巻する商業帝国主義建築の可能性は大いにありそうに思うが、、、例えばカルトラバのブエノスアイレスの橋は独特とも言えるが世界中の彼の設計ととてもよく似ているとも言える。カルトラバ帝国主義と言えるのか言えないのか?
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