ナラティブかファクトか
アーサー・C・ダントー(Arthur C. Danto)山田忠彰 監訳『芸術の終焉のあと—現代芸術と歴史の境界』(After The End of Art – Contemporary Art and the Pale of History)三元者(1997)2017名著がやっと訳された。この本の美術史における価値は計り知れないのではなかろうか?しかし60年代前半にブリロボックスが作られ、グリーンバーグの作り上げた美術の終焉を迎えたことの位置付けが20年後たって1984年にやっとなされたことがさらにこの10年後に本書にまとめられたというこの歴史的な段階的な認識の時間経過というものに驚かされる。そして近代美術がカント哲学を基礎として作られそれが崩壊するという一連の歴史とそれに関係しない美術とがあるという認識(例えばシュールレアリズム)は実に面白い。ダントーからすると歴史はかなりリニアでそれに関連するものも大いにあるというのである。建築もそう考えるとそうなのかもしれない。歴史の流れを作る建築というものがありそれに関連しないものはたくさんあるのだろう。
でもそれって本当かなと思う。歴史の流れ(ナラティブ)に載らないものを歴史ではないという権利はどこにもなく、つまり逆に言えばナラティブでなければ歴史ではないというのはどこかおかしい。
このナラティブを作る筋道か?事実の点在か?というのは数年前の東南大学でのシンポジウムでの重大なテーマであった。そしてその答えはでていない。
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