日本建築思想史
近代建築における構造の扱いを博士課程のO君とずーっと見ている。それは作品と言説双方からおっかける作業なのだが、言説史を知る上で磯崎のこの本『日本建築思想史』太田出版2015を読んでみる。堀口、丹下、磯崎、妹島の4人が思想史の変節点であるとの指摘である。それが正しいかどうかを完全に判断するだけの知識はないが、納得のいくものである。構造を追うという意味では、堀口は同時代で言えば構造に主張のある人ではない。そもそも構造派からの落ちこぼれという書き方をされているくらいだから。しかし実はその時代には後藤、森田という意匠構造派がいるわけである。さてそれあ置いておいて丹下も構造を表現しているし、美しいものは機能的という苦肉のアンチを打ち出している点で意匠構造派にいれることは可能だろう。そして磯崎も群馬で構造フレームを作為的に作っているのは意匠構造派と考えても良い。
ところでこの本で一番面白いのは建築思想家は接続と切断が必要だという主張である。これは先日読んだ本の正しい読み方の橋爪大三郎の言う本には思想があり思想は下敷きとしている思想(接続)と対抗する思想(切断)があるということと同じ謂なわけである。そこで磯崎曰く妹島は自分の世代の持っている建築的な常識を全て切断してたという。これはひとつ面白い。もうひとつ面白いのは4人の話と関係ないが、建築史家の話でイギリスには磯崎の少し上の世代にコリン・ローとジョゼフ・リックワートがいて思想的な歴史家として尊敬していたがその少し後から出てきたケネス・フランプトンは歴史を表層のファッションに接続してジェンクスト同レベルになってしまったと述べている点である。確かにローとリックワートの語りは形而上的でありジェンクスやフランプトンは物自体のところがある。
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