政治における動的平衡論
平田オリザが面白いことを言っている(『下り坂をそろそろと下る』講談社現代新書2016)。「少子化だからスキー人口が減ったのではない、スキー人口が減ったから少子化になったのだ」と。もちろんこれは比喩なのだが若い二人が出会えて、一緒に慣れて、子供を作れる環境を無くしたのは政治の責任である。もう少し言えばすでに下り坂にさしかかっている日本を直視することを恐れ下り坂を登ろうとするものの、まったく若者の生活環境を好転させられない政治に原因があるということである。
著者の提言は二つのことを認識することに始まる。一つは日本がアジアナンバー1であることという幻想を捨てること。二つ目は日本がすでに経済的ピークを過ぎて下り坂をそろそろと下る国であることを認めることである。
愛国心も帰属意識もない私が日本のことを考えるのには理由がある。日本という国は世界という全体の一部であり、世界が人体なら日本はその一つの細胞である。福岡伸一の「動的平衡」論に則れば世界という人体において日本という細胞は全体を機能させる一つ殻のようなものである。そしてこの次が大事なのだが、一見この殻自体が全体を動かしている一要素であるかのように見えるが実は動かしているのは殻から殻へ流動する血液を含む体液である。つまり世界中の人々はこの体液でありこの体液が健全に殻どうしを移動することで全体である人体は機能しているのである。僕は日本という殻をそうした視点から見ているが故に殻の一つに特別な思いれはないし、常に流動しているから帰属もないのである。あえて言うなら僕は人体に帰属しているのである。しかし、便宜上僕という体液は日本という殻においてのみ選挙権をもち、日本という殻が崩壊しないように見守る義務があるので選挙は行う。
そうした視点で日本という殻を見るとき隣の中国やベトナムなどという若くて元気な殻に比べれたら日本という殻はだいぶ歳なのである。そして歳には歳の生き方があることを学ぶべきであり、歳なのに若い元気な殻を打ち負かし昔の幻を追うことはあり得ないのだろうと思っている。そうではなく身の丈にあった殻を作り直し、そしてなにはともあれ中をある体液が健全であるような政策を行っていただきたい。一体それにもっとも近い人が、政党がなにであるかは正確には分からないが、自民党と公明党でないことは確かに感じる。おそらくもっとも近いであろう政党は福祉に力をいれて体液(人々)の意見を最大限に吸収する人、政党なのだろうと思う。今回は立憲民主党に期待する。
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