中庸
こういうタイトルの著書は常に反論を受けるが成長率が0の社会は決して衰退する社会ではないと先ず前置きして、市場経済というものがおよそ人間の社会的な存在を無視して数字的に成長することのみを是として作り上げられてきたかを事細かに説明し、そしてもはやそうした成長が人間の社会性を犠牲にしていることを明らかにしていく。
しかしここからがこの著者のユニークなところだが、そうした進歩史観的で成長信仰を否定はしない。人間にはそうした外延的拡張のモメントがある一方で内向的凝縮のモメントもあることを説く。そしてそうした外と内への力は3種類あるという。
- 人間の社会性をめぐるもの
外延的拡張モメント—グローバリズム、情報ネットワーク
内向的凝縮モメント—家族主義、親密圏への引きこもり
- 人間の生死をめぐるもの
外延的拡張モメント—延命治療や生命科学を使った生の延長
内向的凝縮モメント—死の受容や諦念、生の瞬間的充実
- 達成をめぐるもの
外延的拡張モメント—理性主義、科学主義
内向的凝縮モメント—宗教的内観、哲学的観照
そしてこれら3種類に二つのモメントの中庸をさぐるのがこれからの世界ではないかという。すでに外延的拡張で出帆した地球が急にこれを止めることは難しいだろう。しかしそれに対して内向的凝縮モメントが働かし「中間接近」は可能であろうと述べる。
私はつくづく共感する。外向きも内向きもそれぞれ認め、多様性を維持する寛容なる社会がこれからは望ましいということだろう。建築のアカデミックな分野でも両方あるべきなのである。
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