西村伊作
jog arch 20 若い頃を御茶ノ水あたりで生活していた母はよく文化学院はいい学校だと言っていた。1921年西村伊作が娘を進める学校を探していたがいい学校がないと言って芸術的で自由を尊ぶ学校を与謝野晶子らと創設したのが文化学院である。学校として認可はされていないものの与謝野鉄幹が慶應教授をしていた関係で文部省も一目おいていたようだ。その上芸術の分野では教えていた人の顔ぶれがすごい。文学部長に、与謝野鉄幹、晶子夫妻や、菊池寛、川端康成、佐藤春夫。美術は、石井柏亭、有島生馬、棟方志功、らが、音楽は、山田耕筰、エドワード・ガントレットなど、ほかにも、北原白秋、有島武郎、芥川龍之介、遠藤周作、吉野作造、高浜虚子、堀口大學、美濃部達吉ら数々の著名人が文化学院で教えたそうだ。
その創設者西村伊作は建築家としても名をはせ、1922年(大正11年)日本郵船ロンドン支店長だった石丸助三郎のために南麻布の鉄砲坂に瀟洒な住宅を設計している。多くの文化人が集った場所らしい。今は結婚式場になっている。この建物も東京では数少ない地震も空襲も乗り切って生きてきた建物である。
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