街も動的平衡で見ることもできるのかもしれない
私が来る前に理科大にいらっしゃった大月敏雄さん(現東大教授)がかかれた『町を住みこなす−超高齢社会の場所づくり』岩波新書2017を読んだのは確かよく行く丸善の本棚で平積みになってしかもポップアップが付いていたからだと思う。私は大学時代の計画の授業が数量で建築を決定しようとする姿勢に馴染めなかった。さらに言えばその理論で出来たキャンパスがすずかけ台だと知るとあまり信じることはできないなと思っていた。そしてそれ以来計画と聞くとひいいてしまうのであった。しかし昨今東北大の小野田先生の本など拝読させていただくと計画も実に面白いものだと思うようになってきた。というタイミングで本書を読みまた新しい計画の可能性を見せていただいた思い出ある。それというのもここでは計画の中に時間という要素が入っているからである。そしてこれはどこかで見たなと思ったのだが先日読んだ加藤耕一さんの『時が作る建築』である。ここでもやはり時間という要素が入っているわけである。これはおそらく20世紀が置き去りにしてきた重要な概念なのである。そしてこれは設計の分野にもこれから強く求められることは言うまでもない。
ところでこの本は計画を時間の視点で語るにあたり、時間、引越し、家族、居場所という切り口からいかに人は町を住みこなし、そして住みこなす町の作り方のエッセンスを語る。その中で面白い話が出てくる。坂本先生設計の星田住宅団地とその隣の住宅団地の間で引越しが行われているという話である。星田は若夫婦ファミリーが住み始めある程度歳になると隣の一段高級な住宅団地に引越しするというこtが調査で分かったそうである。こういう風に町の近くで引越しが起こることは町が多様性を維持しそれ故人口がドラスティックに変わらないのでサスティナブルで時間に耐える町だというわけである。ここで重要なのは町のデザインは個々の建築のデザインもさることながらその中で動く人間の流れである。人間が年齢の変化で遠くへ移住してしまうような町はまずい、近く、近くに流れながらという全体の中で平衡が保たれることがいい町なのだと思う。その意味でここでも動的平衡は有効な概念である。
またもう一つ昨今の医学の話と整合していると思う話。これからの町は高齢化しているから高齢者を街全体で介護するようにしないといけない。そういう町の物理構造でなければいけないという。かたや私の知り合いの医者はこういう「90歳になって必要なのは医療じゃなくて介護と看護。内科的な治療でも外科的な治療でもリスクの無い治療というのは無いので、高齢者が保っている微妙なバランスを治療によって壊してしまわないよう、ちゃんとした医者は極力医療介入を避けるのよ」と言うように、ある歳になったらもう医者に頼ってはいけないのだろうし、医者はもういないし、高いのである。だからなんとなく町の中でのんびりしながら幸せに生を全うするのだろう。そういう町がいるということなのである。
何れにしてももはや時間のスケールの入っていない、アーバンデザインも、アーキテクチャーデザインも不要ということは確か。
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