サンクチュアリーの考え方
年末のワークショップ講師はアメリカ人だけれどマドリードで仕事をするジェフ・ブロック。彼の提案してきたテーマはサンクチュアリーである。その場所に入る(来る)と皆が平等になり落ち着いて平和な気持ちになれる場所である。政治的に考えれば難民の受け入れ場所にもなるだろうし、日本の現状なら数少ないけれど異国の人々が平和で平等な気持ちになれる場所かもしれない、あるいは性的な差別を感じられない場所、子供老人が平等で語れる場所、などなどである。それは教会みたいな場所かもしれない、日本にはなかなかそういう場所がないが寺をそういう場所にしようとしている住職さんがいるという話を聞いたこともある。
では東京のどこでそんなことを考えるかという問いに助教の常山さんがかつては水の都であった東京において水際にそういうものを考えてみたらどうかと提案。例えば東京湾のどこかで穏やかな波の生まれる装置を作り、その音で心を洗い平和な気持ちを生み出す。あるいは暗渠となった水路を切り開き出てきた水に透明な屋根を被せ神秘性を感じさせる。あるいは水上に水を楽しむガラスの玉が浮いていて非日常的な場で心を洗う。あるいは周囲の環境とはなんの脈絡もなく水の反射が建物内にキラキラと入り込む聖なる空間を作り心を和ませる。などなど、、、、、サンクチュアリーという言葉の響きからすると人々に開かれたものであり、それゆえ建築も物理的に開かれたものであるかのように感じるが例えば教会がいい例だが、建物は決して開かれている必要な無い。精神的に開かれていれば十分である。だから重要なのはそのスピリットから導かれるストーリーであり、それが建築として実現されているかどうかんなのであろう。
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