鈴木了二の建築講義
今村創平さんと鈴木了二さんの対談を読んだのをきっかけに『ユートピアへのシークエンス』を一気に読んだ。これは講義録なのである。そしてこれは僕がやるような話とはかなり違う。
先日僕が千葉工大で講義したら今村君が東工大的だと言っていたが、この鈴木さんの講義はとても早稲田的なのではないかと想像した。あるいは早稲田はもっと感覚的なのかもしれないのだが、この鈴木さんの講義は鈴木さんの想像力で徹底して建築の中に分け入って読み込んでいくのである。新しい鈴木物語が生まれているのである。それはスリリングである。特にこれを読んで面白いのは私が行ったことのない建築である。見たことはないから鈴木さんの読みと図面で想像するしかない。写真も見ない。その方が楽しい。その意味でシザは一番興奮する。シンドラーは本物知っているからその鈴木流の読解である。もっと言うと鈴木が嫌いな建築史家的な説明である。面白いのはインディアンの影響ではないかという読み込みである。これはスリリングである。などなど数え上げるときりがない。60年近く鈴木さんのような視点で建築を見たことが無かったのでこれは興奮である。でもきっとこう言う見方を僕はこれからもしないような気がする。それは鈴木さんのような想像力がないからだと思う。やろうとしてもできないだろうなあと思う。ではどういう視点で僕は建築を見ているのだろうか?多分読解していないのである。まずフォルマリズムである。そして現象学なのだろう。そこにあるものとそこに見えるものだけを信じている。一方で言説なのだろうと思う。
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