ありふれたもの変容
便器が芸術作品となる20世紀アートの世界ではありふれたものが変容する。そのさまを哲学的に分析したのがアーサー・C・ダントーの『ありふれたものの変容—芸術の哲学』慶應義塾大学出版会(1981)2017である。彼の指摘では、ものにはそのもの自体の属性である単純属性と他のものとの関係を介してものが持つ属性である関係属性があり関係属性には表象属性とその他がある。この表象属性は作者がそのものを生み出すコンテキストがありそのコンテキストを介して受容者が歴史的知識から再構成することにより生まれるという。この表象属性の力がありふれたものを芸術に昇華させるわけである。さて、建築が単純属性のみで成立しなくなって久しい、ポストモダンの時代には歴史が、そして社会が、エコロジーが建築の表象属性を生み出すコンテキストとして押し寄せている。ではこうしたコンテキストを介して使用者が建築を再構成することで普通の建築が『建築』になることがあるのだろうか?つまりその辺のかなり質の悪いでもどこにでもありそうな建物、アートの世界で言えば便器やダンボールがデュシャンやウォーホールのコンテキスト操作によって芸術に変容したように『建築』に変容するのだろうか?普通の建売住宅や普通の公団アパートを例えばエコロジーで読み替える、社会性で読み替える、というようなことはできるだろうか?思考実験としては面白いけれど建築って物が伴うからデコンテクストとして価値が突如上がるかというとそんなに簡単ではない。しかし単純属性の修正をミニマムにすればするほどスリリングではある。平凡なものがどのように建築になるのか?
とここまで書いてきてそういうことしているのって坂本一成さんだなって思う。そうかあ坂本一成はデュシャンでありウォーホールということか。さもありなん。
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