石井和紘
UCLAを留学先に選んだのは篠原先生とは真逆の世界を見たかったからである。イクスクルーシブな篠原ワールドの真逆はアメリカのグレー派と呼ばれる建築家たちでとてもインクルーシブな考えを持ちその筆頭はチャールズ・ムーアであった。そのムーアが教鞭をとっているのがカリフォルニア大学ロサンゼルス校でたまさか東工大の協定校であったが今と違って協定は何の援助もしてくれないので自分で全てをやらなければならず、重要なのはポートフォリオそして推薦状。どこで当時ムーアが絶大な信頼を置く日本の建築家は石井和紘にお願いした。そんな石井の80年代の作風は徹底したポストモダニズムだった。ゲーブルビルもその一つで1980年にできている。1984年にフィリップジョンソンがAT&Tビルにペディメントをつけて大騒ぎになったが石井は4年前にやっていたというわけである。
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