YKK R&Dセンター
1984年にイアエステを利用してスイスバーゼルの設計事務所で働いていた時何度か南部ティッチーに建築を見に行きマリオ・キャンピにインタビューをしたことがある。彼は槇文彦が好きでよく調べ、ブルータルな建築から変化した1982年の前沢ガーデン以降の建築が好きだと言っていた。聞くところでは1979年に入所した宮崎浩さんのサッシュデザインのスキルがライトなデザインを可能にした。その後槇建築の軽くスクエアな建築の見学会に数多く足を運んだ、電通、秋葉台、スパイラル、京近美、津田、テピア、メッセ、東京体育館、SFC,そしてスクエアな建築に徐々に斜めの線とRの量が少しずつ増えてきたように感じた。このYKK R&Dセンター(1993)もそんな建物のひとつである。
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