建築の生まれる時
槇さんは設計と文章を書く事は創作の両輪だと言っていたと川向さんに話したら、槇さんの文章は竣工後の感想であると言う。それでもその感想が次の設計の起点にはなるでしょうと言うと頷いていた。しかし、、起点といえどもやはり創作とは文章のような論理性からではなくもっとドロドロした感覚で生まれる、伊東豊雄もそうだと川向さんは言う。確かに恩師篠原も言葉を大事にした建築家ではあるが、やはり創作の瞬間は絵であり模型なのだろうと思う。言葉で建築ができるのなら千枚もスケッチ残すまい。建築が生まれるのはいつ何によってなのだろうかと自分を分析してみる。自分のスケッチのあるいは模型のあるいは文章のどこでそのプロジェクトの方向がきまるのだろうかそしてそれはどういう理由によるのだろうか?
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