自然の建築家
磯崎新が(確か)岸田日出刀に駆け出しのころの作品を見せたときに「作為」的と言われたとどこかに書いていたように記憶している。もちろん作為の反対は自然である。おそらく建築家はこの二つを極とするスケールのどこかに位置されるだろう。もちろん磯崎と共に篠原も作為の極北に位置する。その弟子たちの多くは作為的であり自分も比較的そっち側だと思っている。一方自然の建築家も多くいるが現在その極北にいるのが堀部さんである。序文の最後の言葉が印象的である。「知識ではなく、概念ではなく、建築を自分の気持ちで考えた言葉で綴りました」そして43作品を8つに分けてそれぞれに付した言葉が「本来の建築の役割を考える」「記憶の継承」「ずっと昔からあったかのように」「庭から生まれる建築多様性」「静けさと光」「『生と死』が共存する空間」「人と建築と場所のつながり」である。普通の人が普通に建築に臨む自然な言葉たちである。人の作品集をあまり見ないが自然の建築家の作品集は古典を読むような清々しさがある。
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