人工知能の可能性
松尾豊『人工知能は人間を超えるかーディープラーニングの先にあるもの』角川2015を読みながら人工知能は建築家を超えるかと問うてみた。きっと10年後に建築家はだいぶ違う職能になるのだろうなと感じた。創造という行為が過去と違う何かを紡ぎだすことなら過去をディープラーニングしたコンピューターにそう簡単に勝てるわけがないからである。建築家でも芸術家でも歴史を調べ上げそこにやられていないことを考える人はいる。でもその過去を調べ上げる時間が不要になるだろう。自分のデザインをアップロードすれば過去との類似性を判断し、プログラムとバジットをいれれば最適なプランを示し、クライアントの好みを入れればクライアント好みの立面を割り出すウエッブサイトなんてすぐに生まれそうである。豊田啓介は建築家は人工知能を操る調教師になるだろうと言っている。同感である。さて調教師の腕は何で決まるのか?ラーニングでは生まれない何かを誘導する力だろう。本能か、感情か、機械にできない何かじゃないかと思うのだが。
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