百年記念館
篠原一男のもとで学ぶことを勧めてくれたのは高校の先輩である富田玲子さんだった。象事務所に遊びに行くと富田さんと大竹さんにこう言われた「大学なんて何も教えてくれないから事務所で働いて早稲田の第2理工(夜間)に行くといい(でももうその学校はなかった)、、作っている先生がいる学校がいい」と言って出た名前が篠原一男だった。今考えるとこの意外な組み合わせに驚く。人生本当にアクシデントである。
大学院の時この百年記念館(1987)の設計が始まっていてその仲間の端っこの方に入れていただいた。先生はエーロサーリネン記念招待教授でエール大学と東工大を行ったり来たりしていた。ある日あの形のスケッチが現れた。アメリカで描いていたのだろうか?ハーフシリンダーが折れ曲がっているのがかっこよかった。実施設計しているころ僕はUCLAに行ってしまった。ちょっと残念だった。帰国すると工事が始まった。構造の木村俊彦先生が全部が完結して成立する構造なので工事中に地震が来ると壊れると言っていた。
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