和朗フラット4号館
去年の11月にブログで紹介した和朗フラットは2号館、3号館であった(1号館は戦争で焼け、現在は2,3号館を1号館2号館と呼ぶ)。よくよく見るともう1棟建っておりそれを4号館(1936)と呼びhttp://www.warouflat.comホームページまである。それによると設計者は建主でもある上田文三郎で彼は「京都市高瀬川沿い、立誠(りっせい)小学校の近くで生まれ育ちました。四号館は彼が1928(昭和3)年のアメリカ旅行で見た、西海岸のコロニアル様式をモデルにしたものではないかといわれます」とある。建物は全て家具付きで身一つで入居できたらしい。
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