吉田五十八の寺 吉田五十八は太田胃散の創業者太田信義58歳の時の息子。芸大卒業後独立。欧米を旅し欧米の建築は欧米の文化が血肉化した彼らにしか作れない。自分に作れるのは日本の伝統と見極め数奇屋の近代化に取り組む。そんな吉田の最晩年の建物がこの滿願寺(1970)そのころ寺の仕事が相次ぐ。1968年に成田山新勝寺本堂、中宮寺本堂。またその後万博の松下館、1972年に外務省飯倉公館が続く。どれも大きな軸組みとそれを埋める白い壁の構成で優美な屋根か陸屋根が載っている。
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