建築プレゼンのグラフィックデザインの
拙著建築プレゼンのグラフィックデザインの中でミロのカタルーニャの風景はsensibility•hierarchyの例として例示した。シュールレアルの自動筆記で描かれたこれらのオブジェクトに意味的連関はおろか意味は無いものと把握していた。しかし今日芸大最終授業でカタルーニャからの留学生にこの絵の中にカタルーニャを読み込めるか問うと答えはイエス。これはうっかりしていた。カタルーニャの人には意味が現れているようだ。果たしそれぞれに論理的繋がりはあるのか?今度ゆっくり聞きたいのだが今日が最後、、、
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