構造
言葉と建築最終回は「構造」である。20.人くらいいる聴講生に質問した。設計で構造を大事にしていない人。4人の手が挙がった。そんなもんか、、僕は今はどちらでもない。
日建時代は構造の合理性とかチカラの流れが美しいことが建築だみたいなことを言う先輩構造技術者のおかげで構造は最後に意匠を可能にしてくれるものでいいと半ばケンカごしにでも真面目にそう位置付け、だから見える必要はないと考えていた。それがGA素材空間の編集をして名工大学長だった柳田博明さんにテクノデモクラシーという概念を教わり、物の成り立ちが可視化されると素人でもアクセスできるから重要と言われなるほどと思った。建築も成り立ちが見えることが重要だと。そのころフランプトンがテクトニックカルチャーで同じことを言っていたので なおさらそう思った。しかし構造を見せる建築は法の制限をかいくぐり、コスト的制約と戦い、そして何よりもモダニズムが捨て去った被覆を失いかねない。だから慎重に取り扱わなければいけないものだと昨今思う。だから構造を大事にしているかと聞かれるとどちらでもないのである。
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