建築性
昨日のオープンハウスで坂本先生と少々お話をする時間があった。話は例によって直接この建物の本質に迫るものではなく周到に迂回しながら核心に迫るのである。最初は3月9日に法政大学で僕らが企画して行う建築の社会性を問うシンポジウムの話から始まる。坂本先生には妹島さん、ヨコミゾさん、青井哲人さんとともに登壇いただくのだが彼はすでにそこで話すことがあってそれは結論か言えば行き過ぎた社会性に対する警鐘である。この「行き過ぎた」というのが坂本先生の昨今のキーワードで、拙著『建築の条件』で対談させていただいた時も頻繁にこの言葉が登場した。そして昨日の子供の家についてもこの「行き過ぎた」態度の有無が論じられた。先生からすると土地を道路に擦り付けたことが「行き過ぎ」と見え、また内装や形態にもそのきらいがあるかのようであった。しかし一方現代社会はそういう行き過ぎた態度を欲しているのも事実であるとしたうえで、しかしそれに押し流される建築には「建築性」が欠如すると語気を強めていた。このことは僕が『建築の条件』の最後に書いたことに他ならないつまり「建築」なきあとの建築とはこういう建築性への希求なのである。さてではこの子供の家の建築性とは何か?それは運動と風景であり流れと淀みなのだがそれはまた改めてゆっくり記してみたい。
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