コミュニタリアニズム的
吹き荒れる資本主義に物申すためにコミュニタリアニズムが登場したので昨日の言い方はやや誤解を招きそうなので言い直しておこう。さてこの本でコミュ二タリアニズムを復習すると次のことが分かる。政治も経済も乱暴にくくれば私的所有の度合いでそのメカニズムは概ね決まる。つまり政治経済は資本主義と共産主義の間を揺れ動いているということである。その昔資本主義が現れ調子が悪くなるって私的所有を制限する空想社会主義が、マルクスが現れ、一方功利主義に対して私的所有を最大限にするリバタリアニズムが現れ、それを競争で獲得せよというネオリベラリズムが現れ、行き過ぎだから少し共同性を加味せよと中道左派としてのコミュニタリアニズムが現れたということである。その流れに文句を言うつもりはない。僕もある程度コミュニタリアンである。問題はそういう下部構造の上に乗っかった建築はそのリトマス試験紙の如く左へ右へと揺れ動き資本主義の調子がいいと私的、個人的、自閉的、右派的に振れ、調子が悪いと共同的、コミュニティ的、開放的、左派的となる。そのあまりに軽々しい根無し草的な建築のあり方に坂本先生は警鐘を鳴らしたいのである。曰く「行き過ぎた社会性」は建築性を失うと。
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