三つ子の魂百まで
福井の田園を見ながら福井自慢をする研究室のH君を思い出す。「福井の米は日本一美味しい」と豪語する。実家で米を作っている彼の父親譲りである。三つ子の魂百までで彼は一生そう言っているのだろう。唯物論者を父に持った僕も小さい頃から唯物論を植え付けられていた。だから観念論が出てきたときには焦った。父親の書架にはカントはなかった。でも美学をやる以上カントは無視できない。というよりカントに始まりカントに終わる。でもやはり僕は唯物論者である。だから昨今のネオマテリアリズムには全く抵抗がない。精神は信用しない。神頼みはあり得ない。配偶者は赤城神社がなければこの街の魅力は半減するというが僕にはない感覚である
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