篠原建築と数学
エンリックの原稿が、「篠原一男地の家増築」ワークショップ後8カ月経ってやっと届いた。安堵!彼の原稿は篠原が欧米で18世紀初頭に生まれたDomesticity(温もりのある家庭)を20世紀に破壊した筆頭に篠原を位置づけるものである。しかし室伏次郎さんがその昔指摘していたように篠原住宅は断熱を怠らないし、高橋晶子さんが先日教えてくれたが篠原住宅の床仕上げは絨毯が多くその理由は吸音のためだそうだ。実際篠原住宅はどれも実に住み心地は良さそうに見える。私が見るところ、現代の我々世代、あるいは下の世代でDomesticityを破壊している建築家は沢山いる。それらに比べたら篠原はDomesticityを守っているように見える。しかし篠原住宅は実はプランニングの根本でDomesticityを念頭においていない。もっと言えば生活は設計を決める論理に入っていない。建築の存在を今この場の理由で説明するのではなく永遠の物として考えていたのである。やはり篠原にとって建築は数学だったのである。
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