間をすり抜ける
北山さんの『モダニズムの臨海』は20世紀に訪れたいくつかの建築のパラダイムシフト(臨界面)に言及し、著者が68年のパラダイムシフトが現在でも有意義であり応答しなければならない事象であることを主張している。これを読みながらあることを思い出した。拙著『建築の規則』を山本理顕さんに謹呈しそれに対して「坂牛さんはやはり篠原研だね」と言われたことを。篠原一男はその昔西山夘三に「階級意識が欠如している」と言われた建築家である。つまり僕はその弟子で社会性の欠如した建築家だと言いたかったのだろう。しかしそれはちょっと違って私はその後『建築の条件』を記し社会が建築を作ると言い、つまりその間をすり抜けるのが建築だろうとお思っているのである。