美は作られたもの
「美は作られたもの」と美学者小田部胤久は言っていた。僕もそう思う。
話題の書、水野学『センスは知識からはじまる』もセンスは生まれつき備わるものではないと説く。赤ちゃんに美は見極められないし作ることもできない。後天的に学ぶこと、あるいは社会が良いとするものを刷り込まれることで僕らの美は作られる。
黄金比のように普遍的な美は皆が普遍的であると教育された結果に過ぎない。プロポーションがいいという建築批評もその場所と時代に良いプロポーションと言われる範囲に入っていると言っているに過ぎない。スペイン植民地時代の南アメリカではスパニッシュバロックを逸脱した潰れたプロポーションの柱が散見される。これは原住民が自らの体形に合わせてスペインの美を自らの美に変えたために起こったことである。
美は作られたものである。逆に言えば美は作るものでもある。その可能性が僕らの前には転がっている。