スチュワートファミリー
スチュワート研究室を篠原先生に頼んで作ってもらったのが1983年。週7日英語の勉強したら教えてもいいと言われ大学の英語の授業プラス駅前留学してなんとかコルビュジエ論を英語で書いた。手書きの英語論文を3回真っ赤にされて最後は先輩から借りたノートパソコンでプリントアウトした。梗概は和訳しながら作ったのだから笑っちゃうが、うるさ型の構造の教授からも何も言われなかったのは先生の教えのおかげ。論文の合間に二子玉の先生の家に招かれご飯をいただいた。そのころまだ赤ん坊だったタケルとダイスケはもう立派な大人。ダイスケはハワイから、タケルはシアトルから里帰り。
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