高橋てい一
高橋てい一は1924年生まれで内田祥哉(1925年生)と同期、内田は同い年の篠原一男と親交があり篠原は林昌二と同級生。たまさかこの4人は大正と昭和の境目に生まれ、モダニズムを駆動した。高橋真さん曰く、高橋禎一は飛行機が好きで機械に心酔していたと言う。ゆえに構法、構造が重要となる。これは他の3人も同様である。コルビジュエ的エピステーメは健在だったわけだ。しかしそんな中で高橋は素材(質料)への美的拘りが他と違うと思って真さんに聞いた。すると高橋は工芸的になるのは嫌ったと言う。しかし十分工芸的素材の扱いは散見されるが。