中野
旧制弘前高校を卒業した父は母と東京に駆け落ちした。母は東北では知らぬ者はいない料亭一心亭の次女でこの駆け落ちは新聞沙汰となった。その新聞、東奥日報の社主は一心亭の顧客で私の大叔母は社主の妾となり東京に豪邸を構えていた。駆け落ちした母は勘当ものだったがそれを不憫に思った祖母はこっそり二人にアパートの一室を買い与えた。それが中野ブロードウェイの裏のディープな飲屋街の一画である。そこで兄は生まれ、その後江古田に引越しそのアパートは貸していた。私が日建で働き始めた頃そこは空き家てわ私は友達とここで土日日建とは違う仕事をしていた。その小さなアパートはその後ミニ再開さ発されマンションとなった。その姿を昨晩初めて見た。懐かしい場所だがあの面影はない。
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