三楽病院
3.11の年に移籍した理科大から夜な夜な見舞った三楽病院でおふくろは他界した。逝く間際彼女は産まれたのもここだと言っていたが怪しい。教職員互助会によってこの病院ができたのはWikipedia によれば昭和8年。彼女の生まれは確か昭和6年である。生まれは定かではないが何度も入退院を繰り返しこの病院にお世話になったのは事実である。親父がこの病院の要職を兼務していたので家族に何かあればここに来ることになっていた。浪人して駿台に通った年に母はここに運びこまれ腎臓ガンと診断され、もって1年と言われた。騒然となった周りの焦りなど母にはどこ吹く風。予備校後、毎日見舞う私に課せられた日課は、ポット一杯のコーヒーを朝入れて持参すること。それを持って屋上に上がり喫煙、週末は山上ホテルでワインを飲むのに付き合うこと。だった。親父は止めろと僕を止めたが母は聞く耳持たず、そして何故か奇跡的にその後数十年生き延びたのである。
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