建築は上部構造
拙著『建築の設計力』では建築の自律性を昨今の建築を考える要とした。
一昨日シンガポール大学のクリティークをして感じたのは彼らはなんのてらいも迷いもなく自律建築をデザインしていると言うこと。一方昨日JIA群馬の卒業制作審査をして感じたのは日本の大学生は群馬に限らず、建築を作らない人がたくさんいるなという点である。
そんな折ディエゴグラスが巻頭論文を書いたチリ建築特集のA+Uを読んだ。チリでは自律派スミルハンの後リーマンショック後、他律派アラヴェナが登場して今は自律派の巻き返しみたいにもなっている、と。
そんなディエゴが日本の建築を評してこう言う。日本では自律的建築(篠原一男など)の後やはりリーマンや3.11によって他律的若手建築家が登場してきた。彼はこれを日本のアルテ=ポヴェーラ(poor art)と呼ぶ。つまり昨今の日本の学生はアルテ=ポヴェーラに浸っている。
これらの話をまとめると、マルクスじゃないけれど建築は所詮上部構造であり、下部構造が変われば変わるしかないということである。巷間言われ始めているようにコロナを契機に下部構造が変わるかもしれない。コロナでこれだけ苦しめられているのだからなんとかもっと人々のためになる下部構造へと変容して欲しいものだとつくづく思う。そしてそれによって建築は変わる。建築は上部構造なのだから。