コロナに対するKPIは個人が持たなくては行けない
世界中でデモが起こっている。理由は非常事態を解除しろである。ドイツがアメリカがヨーロッパ各地が解除に向かっている。日本はというとそんな風潮はない。
一体私たちは何を指針に行動するべきか?こうした目標を昨今KPI(key performance indicator)というがこれはこのコロナ問題に対して立場立場で異なる。というのもコロナ死者と経済死者(まだ出ていないが)の利害が相反するからである。
医者のKPIはコロナ死者を最小限とすること
教員のKPIは医者のそれに加えて教育の質を保つこと
家主のKPIは家族の健康と経済状態を良好に保つこと
それぞれの多様なKPIの元に行動することが社会である。それらの最小公倍数を探すことが政治家のKPIである。どこか一つのKPIを国民に押し付けることはファシズムである。
さらに言えば国民はテレビ局のKPIである視聴率を上げることに煽られて自らのKPIを見失っている。自らのKPIは自らで設定する。それが成熟した社会だと思う。