センスは知識
その昔建築を教え始めた頃建築にはセンスがいるけれどそれは学べると思って教えていた。のだがある時からセンスは教えられない。生まれつきがかなりの部分を占めると思い始めた。しかるに、、、この本(水野学『センスは知識からはじまる』朝日新聞出版2014)を読むとセンスは鍛えて身につくし、そもそもセンスは知識の蓄積であると書いてありやっぱりなんとかなると初心に戻すことにした。しかしセンスを鍛える努力ができるという前提がある。
そう言えば、、、僕の研究室では毎週1時間設計というのをやっているがいつまでたってもダメな人とめきめきと上達する人がいるのだがその差は先輩の優秀な作品をたくさん見て練習しているかしていないかの差で生まれる。今でも覚えているが負けず嫌いのHは4年生になって研究室配属されてさっぱりこの1時間設計がうまくできなかったのがものの1ヶ月くらいで院生に勝る図面が描くようになった。かなりの練習をしたと聞く。こうした実技にかぎらずコンセプトにおいても知識のある人のほうが遥かに的を射た提案をするものである。ひらめきを待っていてもいい案は出ないとこの本にも書いてある。
アトリエ事務所
先日坂牛研からT大の院に行った学生がとあるアトリエ事務所で働くことが決まったと報告に来た。いつかは独立したいと希望を語ってくれた。T大に行くと大きな会社に行く学生が多い中頼もしく嬉しい。今日、とあるアトリエ事務所で働いていた坂牛研の卒業生がその事務所を辞めるとのメールをもらった。ちょっと短い気もするが最初の事務所で上手くいかないことはある。場所が変わり新しい事務所じゃ期待の星と言われているA君のような奴もいる。アトリエ事務所は大きな会社と違い人対人の場所。上手くいかないことはある。だからアトリエ事務所に適性がないと考えてはいけない。単にボスや事務所の空気に適性がないだけである、場所を変えて上手くいっている例はたくさんある。
四苦八苦の哲学
永江朗『四苦八苦の哲学』晶文社2018を読むと身につまされる。死、病、老い、生を哲学者がどう語ったかを語る本だから。病はフーコーの得意としたテーマであった。『臨床医学の誕生』は医学のエピステーメの大きな転換について書いた本であったと記されている。そうであったなあとはるか昔の記憶を蘇らせる。それにしても医学の進歩は新しい病気をたくさん作りそして新しい薬もたくさん作り一体健康であることが本当の自分であるやに錯覚させているところもあるのだろうと、お医者さんには失礼だがそう思っている。もういいや本当の自分はすでに不健康体でありそれ以上でもそれ以下でもないのでありじっとそれを冷静に見ているしかない。悲しいけれど。
Somesthetic
岡村デザインスペースRという場所がありそこで新居千秋×大原崇嘉+古澤龍+柳川知之による「Somestheticー身体性ー」という展覧会が行われる。そのオープニングにお邪魔した。4つの茶室を軸組だけにしてそこにある窓に色のついた糸を張りそこに色のついた光を当て茶室の窓が色を帯びて浮かび上がる仕掛けである。全体の構成を新居さんが作り、窓の色と光を若きアーティストたちが担当している。そしてその全体をプロデュースしているのは川向先生である。
赤坂サカスの二つのホール
赤坂blitz と赤坂actシアターは隣どうしに建っているライブハウスとシアターでそれぞれ1418人1324人収容。外から見ると一つの建物のようである(2008年久米設計)。
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