zoom tea time
On
by 卓 坂牛
ZOOMでお茶飲みながら研究室情報交換。リベレツ工科大学に留学中のHだが、彼の地もついにレベル3。ベレン・モネオ事務所に勤務したOは3月頭に帰国。その頃マドリードは未だ静かだった。カタルーニャ工科大学から帰ったTは成田が素通りでびっくりしたとか。イタリア帰りと、ウィーン帰りは、すでに2週間半経ったが何も起こらず安堵。リスボン工科大学に行ったばかりで帰国したHは、レベル1になったらまた行けるのだがさていつのことになるか?秋からマドリード工科大学に行く予定にしているHの可能性は?
ZOOMで授業は相手の環境さえ整っていれば、問題なくできるだろう。演習はどうかな?と思っていたが、リスボン工科大学ではエスキスチェックも、ZOOMでやっていたそうで、やってみたらできないこともない。模型も写真撮って見せてくれれば、色々コメントできそうである。

遠隔授業
On
by 卓 坂牛
配偶者が書の指導を通信添削にした。アナログ遠隔授業である。UCLAでは座学はzoom製図はBluebeam Revuで完全遠隔授業、模型は作らない。アメリカのミネルバ大学は全寮制だが校舎はなく授業は全てオンライン。それでいて今アメリカでもっとも入学が困難な大学になっている。その理由は先生が世界のトップクラスなのに授業料が安いからである。
アート通信添削は苦肉の策だが、リアルタイムのフェイストゥーフェイスの10人程度のオンライン授業は100人規模の大学授業よりはるかに効果がある。今回のことで文科省も大学設置基準を見直したらいい。もっと学費の安いいい大学ができるだろう。


昨今文化人類学では多文化主義ならぬ多自然主義という世界認識の方法が注目されている。多文化主義が人間(自然)は一つだが文化(精神)は多様と言うのに対し、多自然主義は精神は人間も動物も一つだが形(自然)は多様と言うものである。その提唱者はヴィヴィロス=デ=カストロはレヴィ=ストロースの弟子らしい。それを聞いて急に買って読んで無かった『悲しき熱帯』を読みたくなった。フランスからブラジルに旅をした。
コロナがあろうと、年度末である。研究室やOFDAで受託した共同研究は出締め切りである。富士吉田さ市マスタープラン、アーケードリデザイン、銭湯周り将来計画。は冊子だったりポスターだったり。また甲府テラの現場は補助金事業で年度内に10%の出来高が必要。床づけまで終わらせて書類提出となる。などなどもろもろの確認打ち合わせをZoom三局打ち合わせ。2時間で概ね終わる。

マクルーハンの「身体拡張」によれば衣服も住宅も「メディア」である。そう言ってしまうとその同質性ばかりが際立つが、やっぱり衣服と住宅は違う。大きさが違う。衣服の持つ身体性と住宅のそれを同じ水準で語るのには無理がある。その理由はやはり大きさに差があるからだろう。衣服はほとんどの場合これは身体の一部になっているけれど住宅はかなりの時間身体から切り離れているし、ふと見る対象として(風景として)浮かび上がる。『ファッションの哲学』を地下のソファーで寝転がって読んでいたら住宅が身体から切り離れた。
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