EUの文化戦略
On
by 卓 坂牛
EUは文化戦略として日本文化との相互交流を積極的に進めている。EUNICというEUの文化組織を世界中に持ち様々な宣伝行為を行なっている。建築ももちろんその範疇にある。ミース賞という賞作りも文化戦略である。私もその片棒を担いでいる。一昨年EU日本建築会議を主催し、昨年バウハウス生誕100年のイベントモデレーターをし、そして今若手建築家のためのアジア版の賞(ミース財団が関わっている)設立を行なっている。これって簡単に言えば世界の文化的ヘゲモニーをアメリカと競う地道な活動である。
かたやアメリカはどう対抗しているのだろうか??アメリカ大陸内でさえ共同で卒業、修了プロジェクトのコンクールなどまるでない(とUCLAのカレンは言っていた)し、日本へのアプローチもあまりないように見える。トランプに取って文化は何処吹く風か?
箱から場へ
On
by 卓 坂牛
コピー紙に印刷された英語のテキストが学内にあり読んだらえらく面白かった。出典を見たら松村先生の『ひらかれる建築』の英訳だった。さっそく日本語を読んでみた。建築が市民の手に獲得される過程を箱から場へという変化に即して書かれていた。面白い。そしてこの変化は建築美学的には空間から場へであり、隈さん的にはブォリュームから被覆へとなる。どうも間(箱、空間、ブォリューム)は旗色悪い。しかしこの◯◯から◯◯へという言い方はセンセーショナルな味付けがされていて◯◯と◯◯へが正しいと思う。それは事実がそうだということだけではなく、両方あるから(多様だから)楽しいという意味もある。


高校の先生が書いた枕草子の口語訳を読んでいる。ねたきものという章がある。しゃくにさわるものという意味で、清少納言は出した手紙にああ言えば良かったと一つ二つ直したい言葉に気づいた時はしゃくにさわると書いている。本を書くと本になってからこう書けばよかったと思う場所がいろいろある。でもしゃくにさわるというほどではない。清少納言ほど感性が鋭くないのだろう。
母校の中学で話題の『いじめが終わる方程式』を読んでみた。僕らの頃もいじめはあったなと記憶が蘇った。いじめはトラウマやコンプレックスの裏返しである。しかしいじめはいじめる側だけに原因があるのではないらしい。自ら様々ないじめから脱出した経験から、著者はいじめの原因はいじめられる側の、「いじめられる」と思いこむ思考のルーチンにもあると言う。これは大人の世界でも同じだそうで、人間は攻撃本能と防御本能は同じだけもっていて、防御本能を晒していると攻撃本能の餌食になる。だからひょんなタイミングでこの立場は逆転するのだと言う。
You must be logged in to post a comment.