Historiography
On
by 卓 坂牛
Historiographyという言葉があ。歴史の記述の仕方についての研究である。翻訳中のウィグリーの白い壁はこのことを問題にし、書かれなかった別の歴史の存在を明らかにいている。つまりキーディオンらのモダニズム歴史観が一つの価値に基づく選択てあったことを膨大な史料をもとに解き明かす。
表現における歴史の使い方は19世紀半ば過去から現代に振れ20世紀後半再度過去に振れた。そしてまた現代に振れ、、、今は過去をどう扱うか揺れ動く。そこでHistoriographyという言葉に光が当たっているのだろう。僕はそこに先在する物を信じたいし、リスペクトすることにしている。




五体満足ではない人の記憶は満足な人のそれとはだいぶ違う。どう違うかをインタビューして調べあげたのがこの『記憶する体』である。たとえば目の見えない人にとって一つの建築体験は臭覚、触覚的な情報で構成される。だから見えない人の空間把握には時間がかかる。ゆっくりと順を追う。一方見える人は瞬時に全体を把握する。モダニズムアートにおいては瞬時にそのゲシュタルトが把握できるものが評価されるのはモダニズムが視覚優位の時代であることの裏返しでもある。


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