Also soup stock tokyo
Also soup stock tokyoは2016年に自由が丘にできたスープ屋さん。永山さんのデザインは自邸もそうだけど男まさりである。不要ものは一切ない。

論理的であること
『流れとよどみー哲学断章』というタイトルに飛びついたのだが、中身はタイトルとはあまり関係なく大森荘蔵が朝日ジャーナルに連載した哲学談義である。「論理的ということ」という話が面白い。論理的であるということは冗長であるという点にその特性があるという。例えばこういう論理的な言い方がある。物体はみんな互いに引っ張り合うだからリンゴと地球は引っ張り合うだから枝から離れたリンゴは落ちる。しかしこの論理は最初の物体はみんな互いに引っ張り合うと言った時にすでにリンゴは落ちることを言ってしまっている。「だからリンゴの落下を引力理論から説明するとは、前に理論でいってしまったことを再度繰り返して言い直すことにほからなない」だから冗長だというわけである。

やるとなったらとにかくやる
東洋大学情報連携学部というのが昨年(2017)開校した。理文芸の融合をうたっている。情報に連携するデザイン、エンジニアリング、ビジネス、インフラを教える。デザイン分野ではラピッドデザインと称し3Dプリンターなどの教育もするようである。これからの分野にいち早く進出している。どのように発展するのか見守ろう。
こんななんでもないビルにも被覆しちゃうのが隈さんなのだな。うーん。

ゼミの頻度
設計のプロジェクトはスタッフのやっていることを初期段階では毎日見る。毎日見て自らのアイデアを注入し方向が狂わないようにリードする。これは研究も同じだろうと今年になってふと思った。だからある研究プロジェクトは数多く見ることにした。煮詰まってきた研究は集中力がものを言う。設計と同じである。そして頻度を上げると結果もそれに沿う。
そう考えるとちょっとした矛盾を感じる。ゼミというものは週一でやっている。しかも学生からすると隔週発表である。果たしてその頻度は適正なのだろうかと。もちろん卒論修論生が仮に週2で発表したらどうなるだろうか?先生もきついが彼らはそれについて来られない(来ない)と思う。でも本当ならそのくらいやってもいいのかもしれないという思いと、彼らには他にもやることがあるのだろという思いで最後はよく分からない。
うちの傘ベアルック 妻(L) 夫(S)


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