常識ないでしょう
もうかなり前から大学の先生の間では教授部屋というシステムをやめるべきだという議論もある。でも試験の資料とかいろいろあるから別にするべきという考えもあり、理科大も先生部屋は独立になっていたり、一緒だったり一律ではない。校舎が古い大学は大体先生部屋は学生部屋とは別になっている。そういう先生の間では部屋のドアは開けっ放しにしておくというのが常識になっている。異性の学生が入ってきたときに二人だけの空間にならないように注意を払っている。教員がセクハラで訴えられて干された例を僕もいくつか知っている。裁判になって真相はわからないがとにかく言われたらおしまいの世界である。しかるに日本の最高官僚の役所というのは同性の記者は入れずに異性の記者と個別空間を作りそれを役所全体が容認してきたというのはどういうことなのだろうか?役所を監督する役所をつくるべきだがそんなことに税金を使って欲しくないから自己規律を徹底するしかない。あるいは役所は物理的にガラス張りに作るしかない。辞めた次官は高校同窓のK女史の同期ということである。同じ世代の人間として常識をもって生きて欲しいと切に願う。
かたつむり
かたつむりが本当に歌うのかと思って買った本(千葉聡『歌うカタツムリ―進化とらせんの物語』2017)だが内容はかたつむり研究からみる進化論である。私の大伯母は熱狂的な貝殻コレクターだった。ここに登場する研究者たちも最初は皆かたつむりコレクターだったのだと理解した。進化論をやるような人はどうも進化論が先にあるのではなくとりつかれたように生物を追っかけ回しているうちにその差異の理由を求めることになったのではないかと私には思える。一方私の叔母は熱狂的な石コレクターだった。石はしかし無機物だから遺伝子を受け渡すことはない。なのでそこに前世代の影響のあるなしという議論は起こらない。さて建築はと考えるとそれはそれを設計する人、作る人、使う人、が遺伝子を受け渡しているのでそれは自然選択的であると同時に突然変異も起こす生き物なのである。
YKK R&Dセンター
1984年にイアエステを利用してスイスバーゼルの設計事務所で働いていた時何度か南部ティッチーに建築を見に行きマリオ・キャンピにインタビューをしたことがある。彼は槇文彦が好きでよく調べ、ブルータルな建築から変化した1982年の前沢ガーデン以降の建築が好きだと言っていた。聞くところでは1979年に入所した宮崎浩さんのサッシュデザインのスキルがライトなデザインを可能にした。その後槇建築の軽くスクエアな建築の見学会に数多く足を運んだ、電通、秋葉台、スパイラル、京近美、津田、テピア、メッセ、東京体育館、SFC,そしてスクエアな建築に徐々に斜めの線とRの量が少しずつ増えてきたように感じた。このYKK R&Dセンター(1993)もそんな建物のひとつである。
キース•クローラック
去年の冬吹雪のエール大学に迎えてくれたキースが家族で来日。彼の多忙な日程を調整すしてやっと会えた。明後日から京都、大阪、広島。いい旅を。
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