デコンとポストモダン
90年代前半日本に多くの外国人建築家が呼ばれ建物を設計した。バブルということもあったが、日米構造協議の影響で外国の(アメリカの)建築家(に限らないが)を使うことがコレクトネスのような雰囲気があった。僕らが台場でコンペをした二つの街区も一つはKPFと共同(これは負けた)もう一つはBTAと共同し最終的にデックス東京ビーチ(1996)となった。そのころの外国人建築家使用の先駆けの建物が秋葉原に二つある。ピーター・アイゼンマンによるコイズミライティングシアター(1990)、マイケル・グレイブスによる田島ビルディング(1994)。デコンとポストモダンの競演である。
開いた口が塞がらない
教員生活13年にして初めて平気でゼミに穴あけて、平気で提出物を出さない院生に遭遇した。しかも二人。偶然なのか?一般的傾向なのか?
昨年の卒業生が先生は優し過ぎだと言うので今年はマジで怒る。
日建時代に秋葉原のYKKの絵を描いたができなかった。あれから20年。中村晃子さんが担当してイカしたビルが生まれたYKK80,2015)。ファサードに手のこんだアルミスクリーンが付いている。この手の被覆は最近の日建の流行。昨日隈さんの展覧会を見て空間から被覆へを主張する度胸に恐れ入ったが日建はおとなしく被覆している。
まちや・アパートメント
RCで6階まで作りそこまでが店舗と賃貸アパート、その上7階8階が鉄骨造の得意の大屋根が乗りここがオーナー住宅。間口5mくらいいっぱいに開口部がありこれが気持ちよさそう。新建築見ると障子がいい光を入れている。まちや・アパートメント(アトリエワン、2017)
PREVIの記録
1965年にピーターランドがペルー政府に呼ばれ意見を聞かれたところからペルーリマの有名なソーシャルハウジングプロジェクトPREVIは1969年に招待建築家と国内のコンペを発表。招待建築家はアトリエ5、コルホネン、スベンソン、スターリング、槇、菊竹、アレクザンダー、コレアなどである。このプロエジェクトのユニークだったところは1〜2階建ての建物を設計し将来的に増築して3階建てくらいになっても使えるように考えかつその時にも耐震性能を担保できるようにすることだった。1978年に完成し現在で40年経つが行ってみるとほとんど原型が分からないくらい増殖しているのに驚く。
さてそんな増殖過程を丹念に追いかけた本が2Gから出版されており先日リマを訪れた時にピッチー二から頂いた。例えば槇文彦のユニットの変化を追っかけたのがこのページで増殖過程をアクソメで6期に分けて表ん原子その時の家族構成も記されている。こうした調査がほぼ14のプロジェクトに対して行われている。この調査はカトリカ大出身の建築家によって行われその記録はスペイン語英語の完全バイリンガルで記されている。最近読んだ建築本の中では日本語も合わせてベスト3にはいる面白さである。
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