ランシエールの3つのイメージ
ジャック・ランシエールは『イメージの運命』平凡社(2003)2010において昨今美術館、ギャラリーで流通しているイメージを以下のように三つに分類している。
1)剥き出しのイメージ:強い現前性に支えられた注解を排除するような強いイメージ
2)直示的なイメージ:生の現前の力ではあるが、意味の力(注釈する言説)との二重性を持つイメージ。
3)変成的なイメージ:社会的環境の中で循環するイメージ
でそれらは再配列を常に余儀なくされるイメージ。
これらは建築にそのまま当てはめることができる。建築家によってどのイメージを自ら纏うかを決めている人もいるだろうし、プロジェクトごとに使い分ける人もいるし、部位ごとに使うイメージを変える人もいるだろう。
例えば坂本先生が既成品(サッシュなど)を徹底して使いながら意味の操作をしていたのは3)に限りなく近い。一方昨今のマテリアル派(ズントーなど)はなんとか1)まで自らの建築を持って行こうとする。しかしなかかなか1)には行ききれずせいぜい2)である。1)になるのはなんだろう?洞窟?
コトの重要性
昨日の忘年会でとある人から坂牛は「コト」より「モノ」が重要で昨今流行りの物質主義?と言われた。SD受賞の言葉がそういう誤解を招いているようなので訂正しておこうと思う。『建築の条件』の中でも乾さんや石上さん著書で重視されている「コト」の重要性を記した通り、「コト」が見えない建築はダメだと思う。かといって「コト」が「モノ」化していない建築はもっとダメだと思う。SDの建物で言えばタイトルである「運動と風景」が示す通りそれは「コト」を作ろうとしているのである。しかしその「コト」を「モノ」化するために相当のエネルギーを使っているのである。そのことを評価されたのでその点についてだいぶ書いたが真意は上に記す通りである。昨今ただ単に物質を作ればいいと思っている人がいるけれど、それは間違いだと思う。
ポピュリズム
水島治郎『ポピュリズムとは何かー民主主義の敵か、改革の希望か』中公新書2016を読む。トランプとテレサメイに象徴される昨今の内向きの政治の根っこは右翼思想というよりかはポピュリズムという概念でまとめられる流れの中にあることが理解される。それはそもそも1世紀前のアメリカそしてラテンアメリカに起こる貧富の格差を捉え、一部のエリート層によるエリート層のための政治を多くの貧困層に向けたものへ変える動きとして現れる。そしてヨーロッパでは近代化、グローバル化の敗者の心を捕まえることで多くの指示を得る。さらにそれは徹底した既成政党を批判し福祉重視、移民排除を主張し、そうした置き去りにされた貧しい層の心をつかむのである。ジェフがトランプの演説の中でエリート批判をしたことが彼の勝利につながったと言っていた。そしてそれこそがいわゆる「反知性主義」なのである。
ポピュリズは今や世界的政治状況である。これは結局新自由主義が引き起こす格差社会が必然的に招来するものであるように僕には見える。
You must be logged in to post a comment.