青山一丁目の2つのビル
青山一丁目に2つのビルが向き合ってたっている。本田の本社ビル(1985 椎名政夫、石本設計事務所)とKozuki capitalの貸しビル(2003、日建設計)である。かたや窓も見えないマッシブな作り、かたや向こう側が透けて見える透明感。
本田の設計者の一人、石本の阿佐見昭彦さんはその後日建設計に来られいっしょに仕事をさせていただいた。本田ビルの、バルコニー付きの外装はガラスが割れても歩行者に怪我のないようにという本田社長の配慮とのこと。
Kozuki capitalの細い鋼管コンクリート柱や薄いプランは安田幸一さんの真骨頂である。
槇さんの建物
数年前ウィーン工科大学の客員教授をすることになりオーストリアのワーキングビザが必要になった。ひどく面倒臭い書類をたくさん書いて大使館に何度か足を運んだ。それでもそう簡単にはビザはもらえずやっとのことでパスポートに印をおしてもらった。大使館は麻布の坂の険しい坂の途中に建っている。槇文彦の設計だと知ったのはその後である。1976年竣工で黄土色のマットなタイル貼りである。断面的には道路斜線でRでセットバックしているのが特徴的である。その後EUの建築会議などで大使館職員とも知り合いとなり交流するようになった。そこから数分のところに同じ槇文彦設計のテレビ朝日がある。こちらは金属ルーバーとガラスカーテンウォールのピカピカした建物で2003年にできている。こちらは敷地の形状から平面的にRが入っているのが印象的。槇さんのたてものは今も昔もモダンな水平垂直にさらりとRが入るその入れ方もごく自然である。
ありふれたもの変容
便器が芸術作品となる20世紀アートの世界ではありふれたものが変容する。そのさまを哲学的に分析したのがアーサー・C・ダントーの『ありふれたものの変容—芸術の哲学』慶應義塾大学出版会(1981)2017である。彼の指摘では、ものにはそのもの自体の属性である単純属性と他のものとの関係を介してものが持つ属性である関係属性があり関係属性には表象属性とその他がある。この表象属性は作者がそのものを生み出すコンテキストがありそのコンテキストを介して受容者が歴史的知識から再構成することにより生まれるという。この表象属性の力がありふれたものを芸術に昇華させるわけである。さて、建築が単純属性のみで成立しなくなって久しい、ポストモダンの時代には歴史が、そして社会が、エコロジーが建築の表象属性を生み出すコンテキストとして押し寄せている。ではこうしたコンテキストを介して使用者が建築を再構成することで普通の建築が『建築』になることがあるのだろうか?つまりその辺のかなり質の悪いでもどこにでもありそうな建物、アートの世界で言えば便器やダンボールがデュシャンやウォーホールのコンテキスト操作によって芸術に変容したように『建築』に変容するのだろうか?普通の建売住宅や普通の公団アパートを例えばエコロジーで読み替える、社会性で読み替える、というようなことはできるだろうか?思考実験としては面白いけれど建築って物が伴うからデコンテクストとして価値が突如上がるかというとそんなに簡単ではない。しかし単純属性の修正をミニマムにすればするほどスリリングではある。平凡なものがどのように建築になるのか?
とここまで書いてきてそういうことしているのって坂本一成さんだなって思う。そうかあ坂本一成はデュシャンでありウォーホールということか。さもありなん。
打ち放し3連発
僕が働きはじめた1986年マニンビルができた、鈴木恂の設計。地下に真っ赤なビロードで覆われたイタリアンレストランがありマニンという名前だったと記憶する。そこから神宮前の方に行くと竹山聖のterrazzaかある。1991年竣工。昔竹山はデコン流行りしころ、ああいう昆虫建築より普遍性を希求し、参照するならロッシと言っていた。彼はそのスタンスにブレがない。今度竹山さんのオートノミーについてご教示ください。マニンビルの通りを上がると北川原温のシェアオフィスARCAが2009年にできている。窓周りの一工夫がうまい。コンクリートは年をとる。31歳、26歳、9歳。それなりに見える。
ビラシリーズ
bikearch36 原宿の一角にビラと名のつく集合住宅が集まって建っている。興和商事の(故)石田鑑三会長が「自分たちでまったく新しい住宅を作るしかない。最高のものを作ろう。20年先のことをやろう」という意気込みで一流の設計者に頼んで作り始めた集住である。シリーズ最初が堀田英二設計のビラ・ビアンカ(1964)。一層ごとにテラスを挟み込みキャンチレバーでコーナーに柱を立てない設計。数件先に坂倉事務所のビラ・セレーナが1971年に建てられた。その道路を挟んで逆側に次の年ビラ・フレスカ(1972)が作られている。道路斜線をうまくかわしながらセットバックし、挿入された光庭の壁面は黄色く塗り込んで明るくしあげている。同じ年にさらにそのワンブロック先に大谷幸夫によるビラ・グロリア(1972)が建てられた。これ以外にもビラ・ローザ、ビラ・モデルナなどがまだ健在である。すでに50年たっているこれらの集合住宅は実にメンテナンスもよくこれからも生き延びて欲しいヴィンテージマンションである。
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