建築の新しい見方
朝ブランチしに行こうと思ったら最後の鳥海の卒論が送られてきた。彼女は農大で生物学を学んできた学生なので生物学を建築に応用する論文を書いている。機械論的な合理主義の生物学が、動的平行論でその機械論が一部変化している。これを建築に応用することで建築の合理主義を部分的に見直すことが可能ではないかという仮説のもとに近代美術館でやっていた住宅展の出品作全60作品を分析対象とした。床壁天井を生物でいう皮膜と捉えその容積を満たす時間、空にする時間をそれぞれその建築の内部流動性と内包対流性と名付けその建築の特性を表す数値とした。こうした数値及び部屋のつながりを表す系統図を生物学的に分類すると、この分類から出来る対ポロジーが近代美術館で分類されたタイポロジーと整合するというから不思議である。まだよく読んでいないが概略はこうである。うーん面白い。
建
街のスパイス ギャラリー建築
jog arch 25 六本木駅の裏にあるピラミデ(山下和正、1999)には太田ファインアート、ワコーワークスオブアートが入っている。隣に最近できたcomplex665(JFEシビル、2016)には小山登美夫ギャラリー、高石ギャラリーなど日本を代表するギャラリーが入っている。芋洗坂を下るとストライプハウスギャラリー(山下和正、1981)がある。さらにヒルズまで行き麻布十番に向かい左折するとアイロンギャラリー(渡邉健介、2011)が見えてくる。そこから麻布台越え広尾から恵比寿に行くとアイロンギャラリーのごとく町のコーナーにMA2ギャラリー(千葉学、2007)が建っている。
渡邉健介
篠田桃紅も言っている
篠田桃紅『105歳、死ねないのも困るのよ』』幻冬社2017で篠田も言っている。人生は外界との付き合い。外界は自分一人の力では変えられません。しかし自分は幾らでも変えられます。またこうも言う。徹底的にはやらないどこか隙間を残して何かが生まれる可能性、次への糸口を作る。これは佐藤藤卓の塑性の思考(変形したらもとに戻らない性質)やほどほどにに通ずる。
自我を捨ててほどほどを徹底的に
グラフィックデザイナー佐藤卓の著書『塑する思考』新潮社2017で著者はデザイナーのあるべき姿が塑でなければいけないと言う。物質の変形特性に塑性と柔軟性があり塑性は変形するとそれが永遠にその変形した形になる性質、柔軟性は変形してももとに戻る性質である。グラフィックデザイナーはコスト、クライアント要望、素材、などなど毎回異なる条件に対して、自我を捨てて自らを塑にして変形させよという。しかし自我を捨てても個性は無くならないという。またそうした無私の心は彼のほどほどにという精神にも現れる。行き過ぎない一歩手前を徹底して追い込むことがいいものを生むという。建築はかなりグラフィックデザインに似ている。
ミレニアルな人たち
仲暁子『ミレニアル起業家の新モノづくり論』光文社新書2017の著者は現在33歳ミレニアル世代(2000年以降に成人した世代)である。彼女は学生時代から起業しビジネスSNSを開発している。そんな彼女の主張は1)ミレ二アル世代はもはやそれ以前の世代と考え方が根本的に異なる。合理的でマイウエィであること。そしてその世代がこれからのビジネスターゲットである。ゆえに2)新しいモノづくりはそうしたマイウエィの人々のなかにトライブ(共通の価値観をもった人の集まり)を見つけ出し、その感性をくすぐる物語を作ってあげることだという。この考え方はおそらく公共性の高い建築においてもある程度重要なモノづくりのクライテリアだろうと感じている。つまり独りよがりはダメだし、一方で単に最大公約数でもダメだということである。なんらかのトライブを見つけ共感できることを感じる必要があるということだ。槇さんがいう共感出来るヒューマニズムということも同じことなのだと思う。
戦わない方法
永井孝尚『「あなた」という商品を高く売る方法』NHK出版2017は学生の就職用にと思って買ったのだが、これは卒計でも卒論でも使える。著者曰く、競争するな戦わずして勝てという。これを、論文や設計で言うなら、ひとの手を付けてないこと探してこいと言うことである。これを僕の過去で言うなら、卒論はコルビジュエ。これは多くの人が手を付ける分野。だから大変だった。卒計は国会議事堂リフォーム。これは稀有なテーマ。修論は摩天楼。これもちょっとない。というわけで卒論以外は作戦成功。卒論も指導教官が、アメリカ人で英語で書いたからなんとかうるさ方の教師を煙にまけた。今年の4年生もテーマを決める時に勝負あり。卒計では是非戦わずして勝つ作戦を立てて欲しい。どうして皆誰もがやりそうなテーマしか思いつかないの?
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