innsomniaという名のホテルのカフェ
このカフェ、ホテルのエントランスを兼ねているから24時
。余りに椅子がないのでカフェだと気づく
分離派建築会誕生100年を考える
分離派建築会誕生100年を考えるという研究会は発足5年。東京、京都で交互に研究会が開かれてきた。数年前から連続シンポジウムになり今日は3回め。テーマはメディアと建築家。大正に入り多くの建築雑誌が発刊されそれにより二つのことが起こる。
1)国家の建築を作る主流を構造派に奪われた分離派は国家的なものではなくメディアで流布される、商業的なものへ傾倒する。
2)分離派が生まれたころ博覧会に作られた14のモデル住宅が文化村と言われメディアを通して一般の中流層に浸透する。
メディアは何に対しても常にギブアンドテイク。よくも悪しくも。
今回の企画は坂牛研でPDしていた天内君。彼自身も東京博覧会の建築群を紹介。堀口はこんなこともやっていたわけだ。面白い。

違ったかもしれないモダニズム
翻訳中のウィグリーの『白い壁、デザイナーの服』と先日田所先生に頂いた『ビフォーザバウハウス』は親戚みたいな本である。両方とも近代建築史は 作られたお話であるということを主張している。そしてその捏造の主犯はギーディオンでありグロピウスである。本当の歴史を知っているのはムテジウスだと。ムテジウスはバウハウスの前にあったドイツ工作連盟を作りそこで全てのデザインに定型を求めたがヴァン・ド・ベルデたち芸術家肌の人たちに反対され彼らは定型ではなく個性を主張した。
どうもこの個性派が服をたくさん作り、装飾を重視した。ここにモダニズムとファッションの戦いがありファッションは負けてモダニズムが近代建築史というテキストを制覇したということなのだろう。ファッションが勝っていたら僕たちは全く違ったテキストとエピステーメのもとに違う建築を教えられていたのかもしれない。

建築理論国際会議
ドクターコースの大村君からトルコでの建築理論会議で無事発表が終わったとの報告。ひとまず良かった。建築理論の国際会議は東南大学でかつて二回ほどでたことがあるがそれはどちらかというと一つのテーマをみなで議論するもの。今回のものは学会と同様で査読付きの口頭発表である。
どのようなテーマが求められているかというと下記のようである。
TRACK 01:
ARCHITECTURE AND CRITICISM
Criticism
– Criticism and History of Architecture
– Architectural Criticism, Critical Theory and ‘Critical Architecture’
– Essential Texts on Architectural Theory
– Architect as Author: Texts by the architects
Commenting on Space
– Multidisciplinary Studies on architecture
– A structural relationship between architecture and text
– Traveling, dairies and urban space
– Philosophy and architecture
Book and architecture
– History of architectural publishing
– Book and architecture: Architectural Writing
– Case studies on terminology and points of view
– Definition and concepts by architectural movements or periods
TRACK 02:
ARCHITECTURE AND CRITICAL APPROACHES
– Design as a Critical Tool
– Architectural History as Critical Practice
– Critical Theory and Space
– Ideology and Architecture
– Architecture and Capitalism
– Reformism and Radicalism
– Architecture and political art
– Controversies, counterparts and confrontations in architecture
(This track is connected to the Critical Approaches Research Direction of DAKAM)
TRACK 03:
EVERYDAY LIFE AND SPACE
– Everyday life, ideology and culture
– Phenomenology and architecture
– Anthropology, locality and ‘low’ architecture
– Body, movement and space
– Perception, feeling and space
– Metaphors, symbols and people
– Lives of Buildings
– Public and private life
– Objects and interiors
– The problem of scale in architecture
– Buildings, urban life and environment
(This track is connected to the Everyday Life Research Direction of DAKAM)
学会の建築論小委員会での議論の参考にしたい。
ゆっくりと近くで寛容に
『資本主義の終焉と歴史の危機』を著した水野和夫の新著『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』集英社新書2017を読む。著者の主張の基本には持続する低金利の読み方がある。そこから展開する論理は資本主義はすでに拡大する空間を失ったから成長していないというものである。つまり資本主義は終焉したということである。そしてそれ故旧態依然とした経済成長を促す政策(アベノミクス)は無意味というのが結論である。僕は経済学者ではないのでその論理が正しいのかどうかは正確にはよく分からない。しかしもしアベノミクスが正しいのであれば社会はもっと改善されてしかるべきであり、そうならないのはアベノミクスがおかしいと思うしかないし、実際建築の世界を見てみるなら、経済成長を期待して生きている設計者はゼネコンと組織事務所にしかいない。アトリエ事務所の設計者達はこれまでとは違う世界であるいはこれまでとは違う仕事の仕方を模索している。資本主義が「早く遠くへ合理的に」をめざしていたとするなら、「ゆっくりと近くで寛容に」と著者は言う。そしてそういう設計態度と生き方をしている若い建築家は増えている。
先日ラファエル・モネオの家族が来日した時に娘のベレンが言っていたが、モネオ事務所はラファエルができる範囲のことしかもうやらない。ゆっくりと静かに少しだけなのだそうだ。槇文彦が静かに穏やかに共感出来る建築をと言っていたのもこういう発想につながる。そういう風に世界が変わり、日本が変わるためには、まず株式会社で資本が自己増殖するようなシステムを変えないとダメだと思う。株主の顔色を伺い資本を増殖させることを最優先に生きることを止めないといけない。その意味では持ち株会社である日建などは新しい設計業態を示していけるはずである。新たな建築をつくるのではなく、新たな働き方、組織のあり方を見せる会社になってほしいものである。


おほ

この路地の階段の途中に中華くまたけがある。実に美味しい。でもこの店知らないと絶対行けないくらい分からんところにある。
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