社会からズレたところから、次の時代の表現は目を吹く
藤森さんが言っていた(『磯崎新と藤森照信のモダニズム建築談義』p230)戦後の建築を社会に開き開放系をつくった人たちがいてそのあと自閉する連中が登場する。それは磯崎、原、それに安藤、伊東が続く。彼らは都市を拒絶しちゃう。藤森はこういう閉じた人たちが次の時代をつくったし、林のように社会が建築を作るという態度は社会に開いた人たちに重なるけれど、次の時代の表現はそこからは出てこない。さらに追い討ちをかけるようにこういう。「組織事務所とゼネコン設計部は、建築を社会の要請に従って実現するのが仕事ですが、それでは建築の進歩はない。社会からズレたところから、次の時代の表現は目を吹くからです」
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昨晩は佐賀大学の平瀬研と合同で食事をした後に平瀬さんと早稲田の集いに参加。偶然だが藤井由理先生やナスカの八木さんとお話しができて有意義だった。今朝大阪工業大学へ向かう市電でばったりと国士舘大の南先生にお会いした。10+1のウエッブサイトで鼎談して以来数年ぶりである。道すがら1時間近くお話しがでた。南さんは去年サバティカルをとられてトルコに半年いらっしゃったそうで羨ましい。加えて南さんの大学では一学年の学生数60名で研究室を持っている教員が9名。南さんの研究室は学生数10名。その数はまるで国立大学並みでこれまた羨ましい限り。昼を食べていると松田達さんにお会いしてこれもまた久しぶり。研究室の1年の活動をまとめた冊子をいただいた。学会の大会は年に一度のご挨拶みたいなところがあるがまあそれはそれで意味もある。
呉で坂本先生の支援学校と隈さんの市民センターを見た。どちらも何気ない建築である。坂本さんの学校は学校みたいだし、隈さんの市民センターは敷地周囲に多くある工場や倉庫のようである。日常のアレンジである。アレンジの仕方はもちろん坂本さんの方がさりげない。



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