動的平衡理論と建築
動的平衡理論を建築に応用したいという学生がいるので一緒になって勉強している。福岡伸一の著書はかなり読んでいるが彼の動的平衡理論が西田哲学と共通する部分があるとは知らず、またもとより西田哲学も知らないのでこれを読めば両方わかるだろうという期待で池田善昭、福岡伸一『福岡伸一、西田哲学を読むー生命をめぐる思索の旅』明石書店2017を読んでみる。ロゴス(論理)ではなくピュシス(自然)を重んじるということあたりがまず基本として西田哲学にはあり、そして福岡理論と通底する言葉として「個物的多と全体的一との矛盾的自己同一」という西田の用語が分かりやすい。この言葉は福岡的に言いなおすと「生命は多細胞の個々の細胞と細胞の集合として作る全体としての一つの個体とが矛盾的に自己同一したものである」と言い直されるのだが、これは建築的に言い直すことが可能で「社会の生命感は都市を形成する個々の建築と建築の集合として作る全体としての一つの都市が矛盾的に自己同一したものである」と言える。昨日、日建同期の皆にも言ったのだが、都市は巨大スケールとミクロスケールの共存にこそ生命感が現れるのである。それはまさにこの西田哲学の言い換えであろう。つまり巨大で近未来的な構造と小さくて古ぼけた過去の遺物のようなものが矛盾的に自己同一するところに都市の生命感があるということなのである。さらに福岡理論を注入するなら、この個々の建築を一つの細胞と見るなら、その「外」と「内」の間の「と」に意味をみいだすことになる。言えば建築を包む何かそれは壁とは限らず、見えない領域線かもしれない。そうした線のあっちとこっちの間に起こる情報や空気や熱線や人や物や光や音や匂いや視線などのやりとりの合計として建築が定義されるということなのではないか、やりとり100の境界線とやりとり1の境界線のあいだのグラデーションを定義していく中で建築が作れるはずでありこれは「フレームとしての建築」のベースにある思想でもある。面白い。

素晴らしい仕事をしてくれればとても嬉しい。たまさか同期の彼らはみな役員で日建を牽引していく立場にいるし、これからはアトリエ組織を超えて日本の建築の質を高めていくために議論していきたい。
東京大学建築学専攻編『もがく建築家、理論を考える』東京大学出版会2017に登場する建築家は四世代に分類されている。第一世代はイクスターナルな変革の言葉で社会を巻き込む(丹下)、第二世代はインターナルな掘り下げの言葉で建築の質に向かい空間論、様式論(香山、磯崎)を説く。第三世代は一人ひとりが革命的イクスターナルな言葉を持つ(安藤、伊藤)。第四世代はイクスターナルでもインターナルでもなく、社会に向かうでもなく、うちを掘り下げるのでもない、全てを相対化するような視点で建築を語る。曰く建築は建築ではないもの(環境)の一部になればいいとか、建築家は消えた方がいいとか、前世代からの反動が激しいがそれは時代である。





