3年製図終了
3年生の製図の後半課題は金町駅である。JR金町と京成金町をどう繋ぐかがポイントである。ゲストには富岡駅のコンペで最優秀をとり出来上がって学会賞を受賞した武井誠さん。ショートレクチャーをしていただき改めてこの案の面白さを知る。
今日はもう一人チェコの建築家オサムも呼んだ。彼はEUシンポジウムで来日し、父親が日本にいるハーフなのでシンポジウム後3週間日本にいるということで今日呼んだ。積極的に英語でコメントしてくれて面白かった。レギュラーの3年生は今年で終わりなのだが、来年積み残しもあるので数名の先生には来年もお願いしたいがとりあえず今日で最後ということで記念撮影。非常勤の比嘉さん、浅見さん、塩田さん、山本力矢さん、山道さん、千葉さんとゲストの武井さん、オサムさん、常勤の常山さん僕。
職業としての建築家
建築家の設計論とはどういう意味を持ち得るのだろうか?建築家に限らないのだが創作者の制作論とは何のために書かれどのような意味をもつのだろうか?おそらく制作論は大きく二つに大別される。一つ目は創作者の個別性が強くてマニフェスト的な体をなすものである。その場合その制作者の作品がその人独特であればあるほど、その作者の個別性が文章に色濃く出る可能性が高い。例えば篠原一男の『住宅論』などはそうした論の典型である。一方広く哲学的で汎用性があり広く多くの人の規範となるような制作論もある。それは教科書として見習いうるものとして価値がありその意味で学んでみたいと思うものになる。例えば槇文彦の『コレクティブフォーム』や『見え隠れする都市』などはそういうものである。一見都市の観察にも見えるがこれが槇の作品のベースになっていることは明らかでその意味でこれは制作論と言えるだろう。
ではこれらの中間、あるいはその両方を持つようなものはあるのだろうか?個別性と規範性を共存させる制作論はあるのだろうか?今のところ僕が読んだそういうものの中で最も参考になった制作論は村上春樹の『職業としての小説家』である。そこで僕もそういう方向から制作論を考えてみてもいいのではないかと今考えている。『職業としての建築家』である。
写真も変わった
雑誌の撮影立会いしたのはいつ以来だろうか?山森さんは「高低の家」を撮ってくれた人だと話をしていたら分かった。そうか「高低の家」以来かもしれない。ということは5年ぶりくらいである。「高低の家」は諸事情で掲載できなかったので山森さんの写真で掲載するのは初めてである。山森さんの写真の撮り方は独特で撮影中ずっと話をしている。話をしている間にシャッター切っているという神業である。9時からスタートして午後2時に昼間の写真は撮り終わる。その後第一建設に最近竣工した現場を見せてもらったりして6時半から撮影再開。夜景を撮り始める。いつものことだがなかなか暗くならず、19時半終了。デジタルになると露光を変えて10枚くらい連写して継ぎ接ぎする。もはや一発勝負の緊張感はあまりない。写真も変わった。
東京の2重性
バルセロナのエンリックの論文A4,17ページの社会学の雑誌に投稿した論文を読んだ。彼が理科大のワークショップに来る前に僕と話したこと、理科大に来て学生とおこなった祭りワークショプのことそして建築家の職能の拡張のことが書かれていた。タイトルは「東京:新しい公共性へ向けて」であり要約すれば次のようなことである。戦後東京の環境は爆破されても残る江戸のスモールスケールの上にメガスケールが共存する形で整備された。この矛盾とでもいうべき2重性が東京の特徴であったが、その後メガスケールがミクロスケールを破壊しつつ開発されてきた、しかし近頃はミクロスケールへの理解が高まっている。そしてこの2重の都市空間における公共性を重視することが新しい東京をさらに発展させると指摘する。その理由は世界都市の多くがそうした良質の公共空間を持っておりそれから遅れてはならない、また都市は単なる移動のインフラストラクチャーで構成されてはならず人々が共生する意味を分かち合うところだからだと主張する。
彼はその上で都市のミクロスケールを強調する。理科大でも特にそのことを学生に主張していた。僕も当時はその意見にほぼ100%賛成していたが、最近四谷から赤坂に引っ越してみて少し考えが変わった。四谷は比較的マイクロスケールがドミナントな町であるが、赤坂は超高層が多く建つ町であり、マイクロスケールも多く残り、まさにそれらの共存の町なのである。そしてどちらが心地よいかというと私には双方のスケールの共存の方が多様性があって楽しい。遠くへの眺望があるかと思えば人もすれ違えないような路地があるこの落差が心地よい。あるところで経済原理を止めて、この平衡関係を保つことが都市作りではないかと思える。つまりエンリックが指摘する東京の2重性こそが世界都市東京の東京性だと思う。
自立せよ
Happy Marine Day とメールをくれた オーストリアのアナはさっさとバカンスに行ったけれどゼミでの存在感は日本人の比ではない。彼女は日本の大学は天国だという。いや本音は超甘と言いたいのかも。自分の机があって、週一でゼミがあって教員と話す機会がある。
ウィーンでも、ブエノス・アイレスでも卒業率は50%以下である。主張の無い学生に付き合う教授はいない。教員が手取り足取り物の考え方から卒論のテーマまで教えるのは日本の悪しき習慣である。責任放棄しているのではない。そんな過保護に育てられた学生に世界でやりあえる力は身につかないと言いたいだけである。自立せよと言いたいのである。
Happy Marine Day
今日は祝日なのだがゼミをやると言ってしまったので大学へ向かう。そうしたら携帯に留学生からメールがきた。Happy Marine Day と楽しそうなメールである。昨日ウィーンから友人が来てこれから京都、広島、沖縄の旅に出るという。ヨーロッパ人にとってはもうヴァカンスなのだろうなあ。祝日にゼミやるのも野暮だなあと思う。そういえば私立大学って平気で祝日授業日があるのだがこれは文科省が半期15回授業をしろという指導の結果である。その結果国で決めた祝日に授業しないとカリキュラムを全うできないってどういうこと?と疑問に思わざるを得ない。いいじゃないか別に14回で、と思う。ゼミを予定してしまったのは僕のカレンダーが自家製で祝日をマークしていないからである。これじゃあ文科省と同じだなあいかんいかん
。焦って今年の残りの祝日入れよう。


4年生のプレディプロマはアーツセンター。なので山本想太郎君に来ていただきゲストクリティークをしていだいた。6つくらいはいい案があった。他のひとも卒計に向かって頑張って欲しい。
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