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ドイツに行った井黒が一時帰国して研究室にふらりとやってきて、このワインをお土産に置いていってくれた。今日持って帰って飲んでみた。甘い!想像していたよりもっと甘い。このワインはなんていうのだろうか。あまりに甘いので氷を入れてジュースのようにして飲んでみた。とても美味しい。ダンケ井黒!!
「行政をあてにしない」「きれいごとを言わない」
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中村安希『N女の研究』フィルムアート社2016のN女とはNPOで働く女性のことである。昨今ハイスペックの女性がNPOに就職したり転職したりするケースが増えているという。その理由は未だに日本企業が男社会であり女性が住みにくいということと本当に自分のやりたいことが営利団体ではできないという認識が高まっているからだという。しかし、、、、こういうハイスペック女性が給料が低いNPOで働ける理由は旦那の給料がいいからだという事実もあるようだ。だからN男の研究はないのである。妻の給料が高くそれに依存してハイスペック男性がNPOに流れるケースはあるかもしれないが量は多くない。著者がN女を2年間しらべて感じた共通点は「行政をあてにしない」「きれいごとを言わない」だそうである。これ一般企業にいようが、どこにいようが、男だろうが、女だろうが重要なことである。
国立ラ・プラタ大学のイアーブック
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2016年の夏に理科大の学生を10人くらい連れてブエノスアイレスのスラム調査ワークショップをパレルモ大学の学生と行った。そのワークショップの前日にブエノスアイレス南方の都市La Plataに行きそこにある国立La Plata大学でレクチャーとスタジオクリティークを行った。あれから1年半経ったのだが、その2016年のLa Plata大学のイアーブックができて学科長のダニエル・シルベルファーデンの友人が日本に持ってきてくれてついでにアルゼンチンのお美味しいチョコレートといっしょに日本橋の三井ガーデンホテルに置いていってくれた。こういうイアーブックをきちんと作るのはペルーのカトリカ大学も同じであるしきちんと届けてくれるのが嬉しいものである。
中動態の建築
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Architecture as Frame and Reframeをベースに据えて現在のプロジェクトを大分考えている。そしてふと思ったのだが、このframing reframingという行為をもう少し作為的ではなくできないか?と思うようになった。気がついたらframe があるようなそんな裂目みたいな場所が欲しい。敢えて言えばArchitecture as Framed(という受動態である)そう思いながらでもそうすると誰がframing したのだろうかと素朴な疑問が湧いてくる。一体能動態と受動態以外に「態」はないのかと思っていたらあった。
国分功一郎『中動態の世界—意思と責任の考古学』医学書院2017はまさにその疑問への答えがありアリストテレスの時代には能動でも受動でもない中動という態があったのだそうだ。
スピノザは「自由意志の否定」で「行為は意志を原因とする」という考えを斥けた。この話はとても理解できる。この前の千葉雅也の本でも我々は環境に乗っ取られているということに近い。意志は原因ではなく、結果なのである。かといって完全な受動とも言い難い。それはつまり中間である。他律と自律の曖昧なところである。そんな曖昧な状態を表す文法規定がないので困ってしまったのが最初の話である。設計のコンセプトは原因ではないのである。かといって結果でもない。中動態なのである。Architecture as Frame as it is.と言っておくか。
オルタナティブを作り続ける
この十字壁構造を作りつずける学生がいる。いったい彼を駆り立てているものは何かわからないのだが、前回も今回もひたすら、この構造模型のオルタナティブが登場する。その差は残念ながら格好良さのようなのだが、これだけ比較案を沢山作る学生は今時希少である。これに建築のリアルが入り込めばとても良くなると思う。
グッバイ荒木町
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2005年に信大に赴任した時に下高井戸から通うのはしんどいということで事務所のある荒木町のそばに家を探した。偶然事務所から徒歩3分のところに破格で売りに出ていたマンションを見つけ住み始めてから12年たった。今日その場所はがらんどうになった。赤坂に転居する。今度住むところはここの半分の面積なのでものを捨てて捨てて捨てまくったのだが、それでもダンボール250箱くらいはある。僕のものはほとんど本。配偶者のものは書の作品その他。普通の人の3倍くらいの物持ちだろうと思う。さてこれが新しい場所にはいるのだろうかわからない。
思えば結婚してから30年の間に3回めの引っ越し。10年ごとに移動している計算である。あと20年生きるとしてあと2回引っ越すだろうか?このマンションは外人向けの作りだそうで廊下の幅は1200。ビデがついていているので大きな洗面。書斎もゆったりで本当にすみよい場所だった。しかし娘もいなくなり。もっと身の丈の大きさの場所にあまりものを持たずに住むことにする。グッバイ荒木町。
新居 〒107−0052 港区赤坂6−5−27−202
鹿島デザインの隣の隣で鹿島デザインの設計である。
アウトライナー建築
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千葉雅也さんの『勉強の哲学』で紹介されていた文章作成ソフト「アウトライナー」のハウツー本を読んでみた。具体的にはworkflowyというようなソフトを使う。シェアソフトなのでダウンロードしての使ってみた。このソフトがすごいと言われる所以は、「文章は骨格を作ってそれを肉付けしていくもの」というこれまでの考え方を覆し、「文章は骨格を作りながら、ディテールを同時に考えそれに興が乗ると骨格を変える」つまり常に部分と全体の往還運動で文章を作れるソフトだという点である。
この画期的なアイデア:トップダウンとボトムアップをシェイクさせながらものを考える方法は文章作成だけに用いているのはもったいない。建築の設計もこれで行ける。あるいはそうしたほうがいいと直感的に思う。
その昔建築はほぼトップダウンで全体性から部分へ降りてくるのが王道の設計だった。それに異を唱えたのは原広司であり彼は部分から考えよと主張し続けている。しかし考えてみると部分から考え続けるのは一つの全体を作らねばならない建築としてはやや無理がある。あるいは部分と全体の中庸というほうが新たらしいスタンスであろうと思われる。全体の骨格のシルエットを考え急に部分の開口部のリズムに気が散りそれを徹底してデザインすると全体のコンポジションが変わり再度ファサードを修正する。というようなことをいとも簡単にやってしまうCADソフトができないものだろうか?
論理トレーニング
4年生のプレディプロマとして最初に茶室解体という課題を広谷さんとやっている。狙いは、ある既成の建築(論理構造)を換骨奪胎するトレーニングである。卒計は何らかの形で自分らしさを出さねばならないが、そう簡単にオリジナルをつくることはできない。そういう時に有効な方法は優れた論理構造を借りてきて、自分のものにしてしまうことである。さてではどうするのか。例えば内省的に小宇宙を作るという茶室のエッセンスを外向的に世界につなげるという論理の対立構造を作るのである。そしてこれをベタにみせるのか、通奏低音のように響かせるのかは建築力である。もちろんこの力もないと作品にはならない。